《上海の旅-7》

続きです…

前回では、私たち親子が黄魚館に入り、調理台の上の魚を一匹選んだところまでお話ししました。その魚は、「黃山魚」?或いは「黃三魚」と言いましたが、本当かどうかわかりません、ハハ😄!レストランの人は、その名前を言うだけでした。その結果、びっくりしました!その魚の値段は「268人民元」、計算してみると台湾のお金で大体千元以上(日本円だと4000円ほど)もしたのです。ですので本当に安くはありませんでした。しかも、彼らは観光客相手の商売ではありません。彼らの物価指数は本当に高いのが分かりますね!
私たちが席に着くとすぐにチャーハン、野菜炒め、それから一匹の「黃山魚」、さらにデザートを頼みました。料理の味は確かになかなか良かったのですが、ただ値段が安くなく、お会計は合計500人民元以上になりました。しかもクレジットカードは銀聯カードしか使えず、他のカードは使えなかったのです。出掛ける時に主人が私たちに手渡してくれた1600元くらいの人民元があって助かりました!それに私たちが持っていた残りわずかの人民元を足し、事なきを得ました。そうでなかったら本当にまずい事態になっていました!レストランを出てから、私たちはまたホテルに戻り少し休みました。4時まで待ってから出発し、私たちはまたやるべきことを済ませ、そして直接タクシーを呼んで虹橋空港に向かいました。道すがらに彼らの建築物を眺めながら、この数年で確実に大きく進歩しているのにかかわらず、私たちはまだ同じ地点で足踏みしているかのように感じられ、私たちの国の経済が他の国の経済には遠く及ばないのも無理はないと思いました。空港に着くと入り口から入る前に最初の荷物の検査があり、カウンターで手続きをするときにまた荷物の検査があり、出国前にさらにもう一度厳しい荷物検査がありました。このように何度も繰り返し検査されました。3回ほどあったように覚えていますが、中国大陸の大都市ではこのような厳しい検査は本当にしないわけにはいきませんね。何はともあれ、私たち親子は無事に待合室に辿り着きました。待合室での食事は、正直言って私たちの国のものほど美味しいとは言えませんでしたが、それでも無理やりに食事を済ませ、あっという間に搭乗時間になりました!この上海ともおさらばです!飛行機に乗った後は、台湾に向かう途中で気流の乱れによる揺れが少しありましたが、2時間後には無事に台北の空港に到着しました。「我が家が一番」とはよく言いますね!本当にその通り!自分の家に帰ることができて本当に良かったです!

昨日の朝、私は地震が台風をさえぎるので、台風は来ないでしょうと言いましたが、やっぱり!地震が台風を退けてくれました!俗に、「一つの地震は9つの台風を防ぐ」と言われますが、,昔の先人の言うことは本当に筋が通っています。なぜなら、昨日の朝の地震は本当にすごかったですから。心より皆様の平安と無事をお祈り申し上げます!更に、天災や人災がもう起こりませんように!

昨夜左目がずっとピクピク動くので、心の中で何か起こるのでは?と思いました。予想した通り今朝早く地震が発生しました。ニュースの報道によると、台北は震度四度で、地震の揺れで多くの物が落ちたのも無理はありませんでした。現在近づいている台風は、たぶん私たちのところへ来ないでしょう!ここに皆さんの平穏無事をお祈りいたします。天の神様が皆さまを守り、災いが福となしますように!また天の神様が台湾を守ってくださいますように!

今日は父の日です!ハハ😄!今朝お父さんたちに大きなプレゼント🎁が届けられました。~「天揺れ地動かす」、このプレゼント🎁は実に忘れがたいものになりました!
ここに、世界で一生懸命働くお父さんたちに父の日を祝福いたします!並びにお父さんたちのご健康、事業成功、ご幸福を祝福いたします!

《上海の旅-6》

つづきです⋯⋯

私たち親子はベッドの枕元にお守りを置き、とても疲れていたため、横になって寝てしまいました。そんなに多くの事に構っていられません。やっとのことで朝の7時まで寝ることができ、起きて身支度を済ませると、親子二人朝ごはんを食べるために下の階へ行きました。朝食はそれほど豪華とは言えませんでしたが、私たちが食べるには十分でした。簡単に食事を済ませると、仕事のため外出しました。外出する時は、時間と体力の節約のためにすぐに「タクシー」を呼ぶことを経験上すでに学んでいました。私たちにとって、これが最も負担の少ない方法です。やるべきことを全て終わらせたとき、時間はすでにお昼になっていました。昼食を食べなくてはいけない事に気付き、私たち親子は何を食べたら良いのか分からないでいました。午後の飛行機で台北に帰るため、私たちはホテルのすぐ隣にある黄魚館に行くことに決めました。私たちはなるべく中国大陸の豚肉を食べないようにしていましたので、魚か鶏の料理を探すしかありませんでした。ですので、私たち親子はそのレストランに入っていきました。この黄魚館は一階と二階があり、なかなか大きなレストランのようでした。しかもちょっと豪華そうです。ここの料理はもしかしたらとても高いかもしれない、と考えていました。しかし、私たちはしばらく黄魚を食べていませんでしたので、値段がいくらなのかはさておくこととしました。レストランに入ると、調理台の上に何匹か並べてある魚が見えました。私たちは、多すぎて食べきれないことを心配して、一番小さい魚を指しました。皆さん、この魚の値段がいくらなのか、予想してみて下さい。・・・つづく

《旧暦七月の普渡参拝方法およびタブーについて》

毎年旧暦の七月はとても縁起の悪い月で、加えて毎年旧暦の七月は事故や意外な災難も特に多く、皆様も十分に安全に気をつけてほしいと願っております!
@@@旧暦七月は、なるべく病院に行ったり手術を受けたりしないようにしてください。ですが、もし深刻な病気で危険な状態になった場合は、このタブーにとらわれすぎないようにしましょう。体の具合が悪いのであれば病院へ行かなくてはなりませんし、そのような事情を好兄弟(寃情者たちや身寄りのない霊たち)は理解してくれることでしょう!
@@@旧暦七月は、結婚や婚約の取り決めに適していません。
@@@旧暦七月は、地鎮祭や建設、上棟式や引越しにも適していません。
@@@旧暦七月の時期は、お椀によそったご飯にお箸を挿してはいけません。また、それは普段の食事でも同様です。これは香炉にお線香をお供えするのと同じ意味となるので、ご飯を食べようとする好兄弟を引き寄せてしまうでしょう。
@@@旧暦七月の夜は、なるべく口笛を吹かないようにしましょう。口笛の音は好兄弟の気を引くため、不必要な面倒事を起こしてしまいます。
@@@旧暦七月はあちこちの廟で野外劇や布袋劇を好兄弟に見せています。もし通りかかったときに、その劇を誰も見ていなくても、絶対に、なぜ誰もいないのに劇をやっているのだろう?と思ったり、言ったりしてはいけません。これは絶対に気をつけてください!普段でも、普通の月のときに行われている劇は神様に見せるために行われています。ですので、どうぞ皆さんお気をつけください!
@@@旧暦七月、皆さん普渡のために金紙や銀紙を燃やしますが、もし地面に金紙や銀紙を燃やしたような跡があっても、絶対に踏まないようにしてください。このようなことも、好兄弟を怒らせてしまうため、このような場所は絶対に避けるように、覚えて置いてください。災いを避けるためです。
@@@旧暦七月は、水辺や海辺には近寄らないようにしましょう。普段でも事故が起こりやすいこのような場所は、自殺したりおぼれたりして怨霊が多い場所でもあるため、毎年のこの時期は必然的に自分の身代わりをさせようとして多くの事故が起こります。これは、普段でも言えることです。海辺はとてもきれいですが、もし自分の運気があまりよくない状況であれば、事故が起こりやすい危険があります。ですので、どうぞ皆さん安全を第一に考え、注意してください。
@@@旧暦七月は、なるべく山登りはしないようにしてください。皆さんも、魔神仔(身寄りのない怨霊)や好兄弟の話を聞いたことがあることでしょう!このようなことは実際に本当にあったお話です。私が知っている魔神仔とは、とても大きな体を持った怨霊です。ですので、登山に行った人が道に迷ったり、いなくなったりしたときは、魔神仔あるいは好兄弟に出会ってしまったということがよくあるのです。もし本当に出会ってしまったときは六字大明呪の「オンマーニーパーミーホン」と唱え、観音菩薩様に「オンマーニーパーミーホン」の功徳をもって衆生に回向してもらいましょう。
以上が、私が知っていることや経験から得たことですので、皆さんにシェアしたいと思います。多すぎるほどたくさんの風習があり、一つ一つ書くのは出来なくて申し訳ありませんが、どうぞお許しください!この旧暦七月の事について、信じるか信じないかにかかわらず、最も重要なことは皆さん安全にはくれぐれも注意して下さい、ということです!この場で皆さんの平穏無事と健康を祝福いたします!

《上海の旅-5》

つづきです…

私たち親子が上海の日月光広場で食べている時、突然感じたことでした。夕飯を食べ終えると、息子は私と広場をブラブラしました。私は広場に立ち並ぶ店舗や商店の様子を見て、台湾の夜市を真似ているということを思い起こされました。ただ違うのは、台湾のよりもにぎやかさがなく、また売っているものも多くないところでした。ただ、彼らの場所は本当に広いのです。ここが自分の故郷ではないということに、なんとなくちょっと違和感を感じました。ときおり、台湾の若者たちは、国を出て外の世界を見るべきだと思うのです。そうした方が、今の生活をより大事に思うことができますし、またぜいたくを言わずに今ある幸せや、人とのご縁のありがたさを理解できるようになるでしょう。私たち親子は、ショッピングモールの中の環境を見て回った後、その広場を後にしました。道路に出てタクシーを拾うと、直接ホテルへ帰りました。ホテルに帰った後、毎回あの廊下を歩くとつまづくので、息子が私の手を繋いで歩いてくれました。また私が転んでしまうことを心配して、何度も「お母さん、気をつけてくださいね!」と呼び掛けてくれました。気恥ずかしいですね!部屋に戻った後、本当に浴室には入りたくはありませんでした。それには理由があるのです。しかしとにもかくにも、顔を洗ったり歯磨きしたり、体を洗ったり🛁、お手洗いに行ったりするには、そこへ入らないわけにはいけません。ですので、私は毎回入るたびに「すみません!お邪魔いたします」と言わなくてはなりませんでした。はぁ~、本当に疲れます!私たちのこのような特別な体質も、良いとも良くないとも言えませんね。次へ続きます…

《上海の旅-4》

続きです…

私たちの部屋は二つの坂道の中間にあり、山の谷にあるような感じでした。部屋に入る時、もし一人だったら本当にちょっと怖かったかもしれません。とにかく現実味を感じなかったのです。幸いにも私たち親子がここに泊まるのは一晩だけです。この様な間取りのホテルは、私たちの様な台湾人には合わないのでしょうね!平坦でなくて歩きにくい感じがしますし、また特に私は風水にこだわる人ですから。恐らくこのように言うのは私のお客さんに対して失礼かもしれません!本当に申し訳ございません!夜は息子の智鴻がこの年老いた母親を日月光広場に連れて行ってくれました。しかし、見た感じではそれほど遠くは感じなかった日月光広場ですが、右肺しか残っていない病人である私にとって、歩くこと!やはりかなりちょっときつく感じました。遠くまで歩いたり早足で歩いたりすると息が切れてしまうので、息子は私と一緒にゆっくり歩いて行きました。日月光広場に着くと、私たちは何を食べようかわからないまま、中を一周してみました。そして私たちは、比較的珍しい「ココナッツチキンスープ」を食べることにしました。正直に言うと、上海の物価は私たちが住む台北に比べてとても高いと思いました。しかし、台湾で暮らすことができる私たちは本当に幸せだということは、国を出てみないとみんな分からないものなのです。なぜなら、食べたいと思うものは何でもあるし、遊びたい、使いたいものも何でもありますからね。特に私たちの夜市!これは他のどの国にもないものです。やはり「我が家が一番」ということですね。ですので、この広場に座って食べているときに、突然自分の故郷のことを思い出してしまったのでした。次につづきます…

《レイニー・ヤンさん、李榮浩さん、おめでとうございます》

まず、ここで李榮浩さんのレイニー・ヤンさんへのプロポーズの成功のお知らせを祝福したいと思います。レイニー・ヤンさんのことを想い、本当に心から嬉しく感じます。ニュースの報道を見て、3年前にご縁があって台北之音でレイニー・ヤンさんと共に舞台の上に立ち、彼女の命相を鑑定したことを思い出しました。最初、台北之音からはどの芸能人の方を鑑定するのかは知らされておらず、現場に来て初めてレイニー・ヤンさんを鑑定することを知り、心の中でとても嬉しく思い、またとても緊張しました!なぜなら、レイニー・ヤンさんは私が大好きな芸能人の一人だったからです。幸いなことに、レイニー・ヤンさんの命盤を割り出すことができ、現場ではただ面相と手相を鑑定するのみでした。現場では口裏合わせなどはまったくありませんでしたので、まさに自身の実力頼みで執り行うのみでした。そしてこの度の報道を見て、以前私が鑑定したことは間違いなかったことを知りました。ただレイニー・ヤンさんは晩婚だっただけで、彼らは良い結果となったですから。この様な結果を目にすることができ、本当に嬉しいです。レイニー・ヤンさんにとって李榮浩さんは天意による良縁の相であり、お二人とも非常に才能のあるアーティストで、しかも干支や性格の相性もとても合っていたため、今日のようなご縁の運命となったのです。この場でレイニー・ヤンさんと李榮浩さんが共に白髪の生えるまで、末永く幸せでありますよう、祝福申し上げます!

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《上海の旅-3》

つづきです…

今回の上海でのタクシーの状況には、彼らが規制を良く守っていることに、本当に驚かされました。彼らは皆交通ルールに従っていて、道路にはちゃんと停車する場所がありました。もしそのルールに違反すれば、とても重い罰金が科せられるので、みんな違反しないのです。ただ一つ怖かったのは、電動自転車です。音もなく私たちの側を駆け抜けていくので、時々本当にビックリさせられました。虹橋空港からホテルまでは30分以上かかりました。私たちが泊まる場所は徐匯区と言って、なかなか賑やかな場所でした。私たち親子が周辺をぐるっと回ってみたところ、あちこちに大きなビルが林立していて、近くには「日月光商場」という場所もありました。
私たちは車を降りるとすぐにホテルでチェックインの手続きをしようとすると、私のお客様である銭さんが私たち親子の宿泊費を払ってくださっていたのです!この場を借りて、銭さんには本当に感謝したいと思います!本当にありがとうございます!実は私たちにとってここは慣れない土地でしたので、銭さんには心から非常に感激しました!
私たちがカウンターで手続きをしている時、カウンターのスタッフの女性はとても礼儀正しく丁寧に対応してくださいました。手続きを終えた後、私たちは荷物を持ってエレベーターに乗って上へと向かいました。エレベーターを降りると、たくさんの部屋が見えたのですが、私たちの部屋は奥のまた更に奥で、とても遠くに感じました。しかも床に少し高かったり低かったりなどの起伏があり、廊下を歩くたびにつまづきそうになり、もう少しで転んでしまうところでした。私の息子の智鴻は私に気をつけるようにと毎回気を遣ってくれました。このようなホテルに泊まったのは生まれて初めてです。もし風水でいうのならば、一般の住宅や店舗などで、この様な間取りにしないようにと建議するでしょう。それは、高低差があり平坦でないと歩きにくく、それは運勢にもあらゆる影響を及ぼすからです、ハハ!私のお節介な性格がまたも出てきてしまいました。私のお客さんの家でなくてよかったです。
私たちの泊まる部屋はちょうど二つの坂道の中間にあり、ちょっと奇妙な感じでした。この建物の設計師はなぜこのようなデザインにしたのか、分かりません。

次につづきます…